制限を出るのも 自由になるのも 自分次第。

姪っ子ちゃんがくれた、クレヨンで描いたイラスト入りのお手紙。
小学三年生の彼女は、時々こうしてお絵かきした絵と一緒に、
ちょっとしたメッセージ入りのお手紙をくれます。
このイラストの猫、見ても分かる通り、黄緑色の猫です(猫ですよ~^^)
これをもらった時、「かわいいね~、ありがとう!」と言って、そのすぐ後にはっとしました。
猫なんだけれど、黄緑色。
(目と口は茶色で、色合わせもあっていますね)
私だったら、
もし誰かに猫の絵を描いてあげる、としたら
こういう色づかい、できるかなあ
猫って、こういう色だよね、って感じの定番の、
黒とか茶色とか、白を使っちゃうだろうなあ、と思ったのです。
(せめて三毛猫だったら、何色か混じった色で描くかもしれないけれど(^_^;) )
人は大人になるにつれ、
これはこういうもの、
これはこうあるべき、
これはこうするべき、
これはこうした方がいい etc…
いろんな 限られた見方 や 思い込み 制限
みたいなものを、身につけていってしまう。
でも、本当は こうあるべき も こうしなければ も
自分がそうやって制限しているだけで
この絵のように、自由に表現することは、本人の自由。
たとえ人からどう思われようと、評価してもらえなくても。
正しくなくても、自分がそれで満足しているから、自分はいい。
おそらくこの絵をくれた姪っ子ちゃんは、
絵を描いてうまいねと褒められることも期待していなかったと思うし、
ただ、彼女の こうしたい に従って描いた結果の、色づかいだったんだと思います。
下に描かれている文字も、言葉ごとに色が違うんですが、
自分が描いていて、



気持ちのおもむくままにクレヨンで描いた、自然な行為の結果だったのでした。
あらかじめ、ここはこうして、ここはこうで・・・
という、戦略もなく、自然に内側からあふれる自分の感覚に、従って描いただけ。
これって、自分独自のオリジナル。
誰かや何かに言われたのでもなく、
あらかじめあったものや見聞きしてきたものに従ったものでもない、
自分独自の、感性、感覚。
自然な自分から、発せられるもの。
子供って、大事なことや
失いかけてしまったものを、いつも教えてくれます。

この話には続きがあって、前に姪っ子ちゃんと一緒に公園に遊びに行った時のことです。
公園の中に、コンクリートっぽいものでできた、
少し小高い丘になっているような形の、すべって遊ぶものがあったんです。
他にも遊びに来ている子供達がたくさんいて、
みんなはそこの一番上から、
靴を脱いで靴下で、サーッとすべり下りる、ということをして遊んでいました。

たまに、座ってお尻ですべっている子や、小さい子だと仰向けに滑り下りてくる子なんかもいたりしました。
そこで、私も一緒になって靴を脱いで、靴下でサーッと下りて遊んでいたのですが、
姪っ子ちゃんは今水泳を習っていて、その水泳でやっている、
息継ぎの練習をしながら、そこを頭から下に向かってすべって下りてきたんです。
…文章で表現すると、ちょっとわかりにくいので詳しく書くと、
普通はみんな、立位で、靴下で上からサーッとすべって下りて来るところを
姪っ子ちゃんは、まずうつ伏せになり、プールの中でやっているのと同じように、
手はまっすぐに前に出して、バタ足をして、(コンクリートの上でバタ足してるんです

息継ぎをするときに、片方の手を上に上げながら顔を横向きにして呼吸をする、
「いち、にっ、さん、パッ」
(パッで、顔を上げて息継ぎをする)
というのを、そこでやりながら下りてきたんです。
みんなが、立って足で滑ってくるところを、
彼女は一人頭から下に突っ込んでいくような体勢で(笑)
「いち、にっ、さん、パッ」 と、自分でかけ声をかけ、
「いち、にっ、さん、」では顔を伏せたままで下がってきて、
「パッ」の部分で、横向きに顔をあげて息継ぎをする…。
プールで練習していることを、そのままここでやったんですね。

怖くないのかと思ってびっくりして、
「え~~!!!」と言いながらも、私もすぐに真似してやってみましたが(笑)
プールとは違うんです、外だし、下に下がってくる急な斜面。

コンクリートが終わった下は、土です。
もー、怖くて!!!
「ひえーー!!」

彼女のように上手くできませんでした(^_^;)
でも、それより何より 固定観念のない、柔軟な行動(しかも楽しんでいる)に、
あー、すごいなあ と、思ったのでした。
ここは何をするところ、ここではこうしなければいけない、というような
制限のある思い込みも何もなく、
ただ彼女は 自分のしたいように自由に していた。
(注1:ちょっと危ない感じもしますが、すぐそばでママも一緒に見ていたので大丈夫でした)
(注2:大人としては、TPOに従った、臨機応変な在り方が必要な場合もあります

こうやっていいかな こうしなければいけないんだ
そういうものがなくて、本当に自然に、自分のこうしたい に従って
そして楽しんでいる。
自分がそれでいいと思っているから、周りの人がどうしていても平気だし、
何か言われても、へっちゃらな感じです。
見ていても、楽しい!うれしい!という感じで、
その状態の彼女から発せられているものは
自分は自分でいい
でした。
外側から
誰かから
どう思われるかとか
他の人の目も、一切気にすることなく
ただ、自分は自分でいいんだ、私は私。
そういうエネルギーがみなぎっているように、感じました。
子供って、生きている神様みたい



(…みんなそうだけれど (^_^;) なぜかここではこういう言葉を感じました)
大事なことを、自分を通して教えてくれている。
大人になるまでに 成長してくるまでに身につけてきたものを捨てる反学習は、
こうあるべき こういうものだ、という
これまで学んだ固定観念や限られた価値観、思いこみ、信念を手放していく作業。
でも、「手放さなきゃ!」とするより、
本当は、自然な自分の内側から生じる思いに従っていれば、
いつでも、それは「こうしなきゃ」がないから
自然な、ありのままの自分。
自分独自の、オリジナルの生き方。
そしてそれは他の人にはない、他の人にはわからない、自分だけのもの。
限られた思いこみや価値観、信念、固定観念…
生まれてから取り込んできたそれらの制限をすべて無にできたら
たぶん何の制限も、規則も束縛もない、完全なる自由の世界。
それを生きることをしてもいい、と自分に許可を与えることができるか
それとも制限ととらわれの中に留めたままにさせておくか
それは、皆個人個人でしか、選択できないこと。
誰かが いいよ~

本人が NO! と言えば、そのままそこにいることになる。
制限を出るのも
自由になるのも 決めるのは、自分。
思考の現実化 引き寄せの法則 という物の見方から見ると、
自分で こうしなければいけない と思っていればそれを現実化、もしくは引き寄せる ことで
自分で自分に、制限 をかけていることになります。
他の誰かが こうしろ と言わなくても
自分で思っていれば、それが続く。
だから本当の自分の気持ちに従っていないことは
もういいんだ、と
自分が自分で、その制限を手放すことをする。解放する。
そして、真の自由を手に入れる。
それはどのような人でも、自分が自分に、してあげられること。
誰かがやってくれることではない、
自分だけが、できること。
2011年冬至の頃からはじまるシフトへ向けて
(実際にはもうはじまっている人達もいますが)
自分に自由を与える、制限から出る、ということを強く決意、意図して
これからの時期を、楽々波乗りのように


超えていけたらいいなと思う、今日この頃です。


・関連過去ブログ:自分が自分であることの大切さ
(姪っ子ちゃんのお兄ちゃんである甥っ子くんの姿から得た、気づきとインスピレーションの体験)
久々のブログ更新になりましたが、読んで下さったみなさん、ありがとうございます


























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