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2010/12/02(Thu)

出来事をどう体験するかは、自分次第

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2010年も最後の月、師走に入りましたね。

今年を振り返ってみると、みなさんにとってはどんな一年だったでしょうか。



最近、何かを手放す というより
こうなる と決めたもののために、それに向けて必要な気づきや理解というものが、
多くの人の中で日常的に、あるいは夢を通しての体験となって、あらわれてきているように感じます。

つまり手放す、手放そう、とせずとも
最終的な意図、めざすゴールを自分の中で明確に決意すれば、
そのために必要なこと、出来事であれ、感情の解放であれ、執着を手放す機会であれ、
起こってきているのだと思います。




過去の私の体験ですが、「私は ~ だ!」 と、意図すると
日常の中で自然に、それに相反することが最初に起こった起源というものを思い出したり
もしくは夢の中で、それが最初にいつだったかを思い出す、ということが
頻繁に起きていたことがありました。



その頃、時間が経ってから、こういうはずではなかった と思ったり、
本当はこうだったらよかったのに というようなことを何度か体験していた私は、
思考や、自分の考えることも含め、自分の人生のすべてに責任を持つ! と、決意・意図しました。



でも、それについてよーく振り返ってみると、
「どうせ」 とか 「もし~だったら」 というような、
望んでいること 欲している状態 に相反する思考が浮上したこともあったな、と思い出していました。


思考の現実化 意図=結果は、
たったひとつ、シンプルにまっすぐな思いだけであれば、
意図したことに相反するような気持ち、葛藤がない状態であれば
それは即座に現実化、叶うのだと思いますが
自分に対してのネガティブなセルフイメージや、過去の こうだった という体験から
こうなりたい、 こうありたい、 望む状態 に相反するような思いがあると、
現実化の妨げとなってしまうことがあります。


望んでいること 欲している状態 に相反する思考をしていたことに気づいた私は、
望む状態、つまり意図=結果にならなかったとしても、
それは誰のせいでも 環境のせいでも 人のせいでもなく、
自分の創造(想像-思考)したことを、
たんに現実化しただけなのだ、と思いました。
意図に相反するような考えを、してしまったのは自分なのだから。


そして自分で責任を持つ と決意してしばらくしてから、突然不意に過去のある瞬間を思い出しました。
思い出そうとしたわけではないのですが、自然に、
今ここにいる自分の中で、その時の自分をも同時に感じている感覚で、思い出しました。





小学校1年生の頃。
土曜日にピアノ教室に通っていた私は、午前中に学校が終わって家に帰ってくると、
急いでお昼ごはんを食べて、一緒にピアノ教室へ通っていた友達の家へ行くことになっていました。

学校から帰って、急いでお昼ごはんを食べているとき、
テーブルでごはんを食べている私の近くに、祖母がいました。

祖母は昼食は既に終えていて、近くで縫物をしていたのですが、
「○○ちゃん、」と、ごはんを食べている私に声をかけました。

ちょうどその時、私は口に食べ物を運ぼうとしていた時でした。
別に祖母の声に驚いたわけでもないのだけれど、
口元まで運んだ食べ物を、箸から滑らせて、自分の服に、こぼしてしまいました。

「あっ!」

お気に入りのかわいい服を着ていたのですが、
その、食べようとしていたものを服に直撃、汚してしまったのです。

咄嗟に私は
「あ~、こぼれちゃったー!  汚れちゃったー、もーーっ!」  と言い、
急いでテーブルの上のタオルで、汚れを拭きました。
拭きながらも、
「あーあー、もうっ!」 とか 「汚れちゃったよーー!」 と、ほざいていました(笑)


頭にきていたというか、むっとしながら、
せっかくの服が汚れちゃったじゃんっ!!!
という、怒りモードを放っていたかもしれません(^_^;)

近くにいた祖母は、
「なに、おばあちゃん悪いの?おばあちゃんがこぼしたんだっけか?」
と、縫物をしながら聞きます。

「・・・違うけど。 ・・・おばあちゃんが話しかけるからさぁ、こぼしちゃったじゃん」
と文句を言いながら、私は汚れを拭いています。

ムッとしながら汚れを拭いて、そして急いで残りのご飯を食べて、ピアノ教室へ向かいました。
出かける時、玄関のドアを バタン! と、わざと大きな音を立てて、出ていったと思います。

…怒っていたんですね、(^_^;) ひゃー…



子供ながらに、頭に来ていたのだろうということがわかりますが、
実際、これは 祖母が話しかけたからでもなく、
誰かが何かをしたせい でもなく、
単に 自分がこぼしただけ だったのに
人のせい にしていた、 人のせいだと感じていた のだと、今は思います。

お気に入りの服が汚れてしまったら、子供でも、嫌なのはわかります。
けれども、この時の状況としては、近くにいた祖母は、大きい声でもなければ 怒鳴ったわけでもなく
驚いたりびっくりするような声のかけ方は、全くしていませんでした。
普通に、○○ちゃん、と、言っただけ。
たまたま自分が食事をこぼしてしまったことと、タイミングがあっただけのことです。

ここで、 人のせい にしてしまうという最初の体験、
責任転嫁してしまう 力動、ダイナミクスがはじまったのだと、気がつきました。 ( 力動


最初に 人のせい にした起源 がわかったのです。



この起源を思い出したことで、連続的にいろんなこれまでのことを思い出しました。
自分がどういう風に物事や出来事を体験してきたか、 
人のせいにしてきたか、 しようとしてきたか





この、過去の出来事には2つの視点があります。

祖母 : ただ、声をかけただけだった

私 : こぼれた 服が汚れた ショック → 頭にくる → 食べようとしたときおばあちゃんが声をかけたせいだ

自分がどう感じたかを、こんな形で 人のせい にしていたんだとわかり、びっくりしました。
こぼしたのは、自分です。
誰もこぼしたわけでも、こぼせと言ったわけでもない。
たまたま、その時に関わっていた身近な人のせい に、してしまっていたんですね。

事実、本当に起こったこととは違う、
自分に都合のいいように、記憶、捉えていたと思います。




そしてこれ以降の、いろいろな過去の出来事、体験の中で、
あの時あの人がこう言ったからだ  とか
あの人がこういう風にしたからだ  とか
ことごとく、人のせいにしていた部分 というものが、見えてきました。


何かを諦めなければならなくなった時、
何かがダメになってしまった時、

あの人がこういう対応をしたから
あの人が私に辛くあたったから
あの人がこんな風に言うから と、
自分が体験してきた、人生の中でも結構大きい出来事にあたる過去の体験の大半は、
人のせい にしていたな、と、気づいたのです。



例えば、その中のひとつ。
これは看護師の時のことですが、適切に仕事を行うためには 患者さんのためには、
自分自身に厳しさを必要とする部分、正確でなければいけない部分、というものがありました。


それはわかっているつもりだったのに、
上の人から何か言われたとき、自分の中の一部は
自分に 厳しくあたられている 傷つけられている というような感覚で、体験してしまってもいました。
でも、考えてみるとこれは完全に自己中心的な自分主観目線です。

人の生命に関わっている立場としては、厳密さや、正確を要する部分、
全てにおいて注意深く集中し、なおかつ配慮も必要という部分があります。
すべて、求める結果のため(患者さんのため)には、必要不可欠なこと。
( これは患者さんに限らず、お客様、や相手、等、様々なことにも共通する部分ですね )


なのに、その求める結果へ向かっている過程の中(途中)でのこと、
上の人からの指示や指導を、個人的に捉えてしまっていたんですね。
自分に、向けられたものだと。


いじめたくて とか 傷付けたくて 言っていたのではないと思うのですが、
自分に言われたように 感じてしまった。
自分を傷つけられたような感覚 として、体験、感じてしまっていた のです。




意図 : 上の例で言えば 患者さんの健康の回復を図る 等

     ↓

結果 : 患者さんの健康が回復する

この、意図 と 結果 の間には、
そのために必要な状況、出来事、過程(プロセス)というものがあります。

その過程での出来事を、あまりにも個人的に捉えすぎていたことが、
今になってみるとよーーっく、わかります。


職場での人間関係や、人との対応、いろいろありますが、
そのことの最終的な 意図(求める結果) は何であるのかということを意識すると、
お客様に喜ばれるため とか お客様にサービスを提供するため とか
職種によりいろいろあるかと思いますが、
何か言われても、それが本当に自分個人へ向けてのものなのか
あるいは、その仕事で果たすべき必要のあることへ向かうために、のことであるのか
客観的に捉えることをしていくと、この例のように自分で勝手に傷ついたり、ショックを受けたり、
しなくてすみます。


言葉や態度は、つい、自分へ向けられたこと のように思ってしまいがちですが、
目的(めざすもの、結果)が、なんのためか ということを見たとき、
その結果(目的)のためには必要なこととして起こってくることも、あるんですよね。
出来事を個人的にとらえすぎずに、常に客観的な視点を持つって、大切だなと思いました。





私の体験から、わかりやすくまとめてみますね。

1つの出来事 でも、それぞれの見方や立場、捉え方( どう体験したか )がある

この例でいえば、
<職場の上にあたる人>
患者さんの生命を預かっている 患者さんの健康の回復を図るため という目的のためには
正確さ、厳密さを必要とする部分もあり、そのために必要なことを、指導、伝えてくれていた

<過去の私>
最終的な目的、 患者さんのため ということはわかっていたけれども、
厳しい態度や言動 を、自分に向けられているもの と捉えてしまっていた一部があった。
いじめようとか 傷つけようとか そういうことなく、
目的、求める結果 のためには、必要なことでもあったのに。

→ 過去の出来事( 記憶していたこと、自分がこうだと思っていたこと )は、
 自分がどう感じたか 反応したか 体験したかでつくられていたものだった







出来事を自分個人というところからだけの物の見方ではなく、
全体的、客観的な広い視野で見ていくと、
傷つくことも、傷つかないことも、自分が自分で勝手にしているだけだった、

自分の責任だったということがわかりました。

自分の人生に完全に責任を持つには、
つまり自分の望む人生、自己実現した人生を生きるためには、
人のせいにするのをやめ、客観的、全体的な視点をもって物事を見ること 
が必要なのだと思ったのです。

実際、人のせいにしていたけれど、誰のせいでも、なかった。
ただ、私が どう感じたか だけで体験していたものだったのだから。






私の流れは、こうでした。


自分で完全に責任を持つ と決意・意図
      ↓
人のせいにした最初の起源を思い出す( 意図に相反することが起こった起源 )
      ↓
過去、自分がどういう風に人のせいにしてきたか、
相手はそういうつもりではないのに、勝手に、傷ついていたというところまで見えてきた。
傷つくかつかないかさえ、自分に責任があった。





年の瀬に入り、冬至という一年の中でも大きな浄化の時期を迎える今、
自分の最終的な意図や、めざすゴールを再確認したり、新たな意図をすると、
それだけでも、そこへ向かう過程の中で、必要な浄化、解放が起こってくるかもしれませんね。








・関連過去ブログ: ありのままにみること + 自分の反応 = 同じ出来事でも違う体験に


   

リーディングでは、ある事柄に関しての起源というものを、
 今生、あるいは過去世等の中からみつけだしていくこともできます。



             
                      




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