2010/09/25(Sat)
セルフイメージ-自分以外のものを、脱ぎ捨てる時

三つ子の魂百まで という言葉がありますが
この世に生まれてきて一番最初に関わった人々、家族との関わり方というものが
人生のいろいろな部分に影響していることがあります。
でも、それがどのように自分の行動や感じ方、考え方、価値観等
人生を生きるいろいろな面に影響しているかということを知らなければ、知らないままでは
その行動パターンや習慣のようなもの、
そして 外側からの影響で身についた 自分はこうだ というセルフイメージから脱することはできません。
セルフイメージ、わかりやすく言うと
本当の自分 っていうものの上に
ボディスーツや着ぐるみ、ウエットスーツ、あるいは入れ子、鎧(よろい)など
色々な表現ができますが、何か別の、自分ではないもの を装着し
本当の自分ではないもの を着こんでいる状態です。
人生で最初に関わった家族との関わり。
その中で、特に養育者や親との関わりの中でどのような関係性を築いていたか
ということが、その後の人生における、他の人との関わり方や関係性
人生全体に対するその人の価値観のようなもの、
信念のようなものにまで影響していたりすることがあります。
Rさんという女性のケースです。
彼女は、つきあっている男性のことを、本当に好きではありませんでした。
これまでつきあってきた男性も、相手はバツイチだったり 既婚者だったり
いわゆる普通に 満たされている状態 ではありませんでした。
本当に好きな人とは、仲良くなっても二番目的な存在だったり。
その時つきあっていた男性のことは、とても好きだった時もあったけれども
実はもうそんなに好きではないことを、彼女自身なんとなく感じていました。
でも、心の中でその 自分の感情を明らかにしてしまうこと を無意識的に避けていて
何年も、同じ現状を続け、そして相手との身体的な関係においては
自分が好きな芸能人や別の人に抱かれているイメージをしていました。
そうしている自分にも気づいていたのですが、
もう好きではないということを
気持ちがなくなっていることを明らかにするのを避けたくて、
自分に嘘をついていることを気づかないでいるために、無意識のうちに彼女は
自分の気持ちを感じること もやめてしまっていました。
強要された時に嫌がっている自分を感じていながらも、仕方なく相手に応じると
どこかで 自分を欺いたような感覚、 自分を裏切ったような感覚
なにか、表現しにくいけれど
内側に 傷ついた自分 のような一部を、彼女自身いつ頃からか感じていました。
本当は、もうこの関係がよろこびを与えてくれるものではないのだということを
深い部分では知っていたけれど、もし、それを明らかにしてしまうと、
この連続性、継続してきたこれまで というものが壊れてしまうわけです。
そうしたら、
じゃあ一人になったらどうするの
経済的なことはどうするの
今までこの人と過ごしてきた時間、費やしてきた時間 自分は一体どうするの
そういう、これまで築いてきたものや
過去から続いてきたものという 連続性 を失うことに対するおそれのようなものから、
惰性、妥協という形で自分をごまかして関係性を続けてきていました。
彼女はいつも、自分が一番という存在になれなかったり、
いて欲しい時に必ずいてくれるとは限らない男性との関係で、
「一緒にいたい」 のに いない という時
自分の内側で きゅっ となる感覚を感じていました。
ハートが、きゅっとなる感覚。
そして涙が出てきて
「欲しいものが手に入らない。」
「やっぱり、いつでも欲しいものが手に入らないんだ!」
そういうことを思いながら泣いていました。
ある時、また同じような状況、
「いて欲しい」のに いない という状況になった時、
彼女は泣きながらシャワーを浴びていて 瞬間的に、
自分のこのことの 起源 と、繋がりました。
あ、そういえば。
彼女は、小さい頃から両親が共働きのため家にはいなくて、いつも一人で遊んでいました。
他に姉妹もいない、一人っ子。
彼女は子供の頃、母親に家にいて欲しい、自分と一緒にいて欲しい
というその自分のニーズ、欲求に、はっきりと気づいていました。
なので子供の頃、彼女は自分の母親に何度も言いました。
「お母さん、家にいて。仕事やめて、家にいて欲しい」と。
けれども家の事情で、母親は彼女のその希望にこたえることはできませんでした。
彼女はずっと、何度も訴えたけれども、母親は応じることができずに
「じゃあ○○○したらね」等 絶対にできそうにないこと、無理そうなことをわざと条件としてあげ、
その場を逃れるということをしていました。
また、代わりに本やゲーム、おもちゃ、お菓子等
彼女が 本当に欲しいもの とは別の代用品を、たくさん与えることをしていました。
彼女は、何度言っても受け入れてもらえない、叶わないその思いを、
いつのまにか言うことさえ、しなくなりました。
諦めたというか、まるで元々それは存在しなかったかのように蓋をしてしまったというか。
自分の中にあったその感情をも、もう 見ること 感じることをしないようになったのです。
かなわない 得られないのに、そこにある感情に気づけば、また自分が傷つくだけだから。
どうせ手に入ることはないのだから
もう、傷つかない ために。
赤ちゃんが、ミルクが欲しくて泣いていたとします。
それは 欲しいもの を求めるための自分のニーズを訴えているわけです。
でも、何らかの事情で、泣いても泣いても母親、
あるいは誰か代わりにミルクを与えてくれる人がもし現れなければ、
ずーっと泣いているうちに、赤ちゃんはそのうち泣くことにも力尽き、ぐったり、
いつのまにか眠っていた ということがありますよね。
泣いても 泣いても( 訴えても )与えてくれない
だから力尽きて、泣くことさえ もうやめてしまったり。諦めてしまったり。
赤ちゃんの例に限らず、こんな風に、
本当はそこにあった 欲しい と言う気持ちが満たされないと
自分で気づかないうちに、いつのまにか諦めてしまっていたり
そこにそういう感情があったことさえ、無意識状態になっていて忘れていたり
封じ込めていたりします。
それは
本当に欲しいもの があるのに
手に入らない 入っていない ことに気づいて
傷つくことやかなしむことを感じたくない という
一種の自分を守るための安全装置のようなものかもしれません。
無意識になることや 感じないこと で、
傷ついていない自分であろうとする
満たされていない自分というものに、気づかないでいたい 気づかないふりをしていたい…。
Rさんがシャワーを浴びて泣きながら あ、そういえば と思ったのは
その、自分は欲しいものが手に入らない と思った最初の体験、
幼少時に 自分は欲しいものが手に入らなかった という母親との関係を思い出したのでした。
そして、やっぱり自分は居て欲しい時に、居て欲しい人にいてもらえないんだ と、
小さい頃の自分と重なり、
やっぱり自分って とか
ほらね、やっぱり手に入らない
と、幼い頃の感情と重なり、泣き続けました。
そうやっている、それが、彼女の一つのセルフイメージ( 着ぐるみ、よろい ) でもあったのです。
自分は欲しいものが手に入らない という。
潜在的に彼女の中にあった、幼い頃の体験と当時の自分の記憶( 印象 )が
彼女に「 自分は欲しいものが手に入らない 」という
セルフイメージ、ボディスーツ、鎧を着ることをさせていて
彼女はその入れ物・よろい の中に入っているので
結果として外側、現実の世界に、同じような状況や体験、出来事を
引き寄せることになってしまっていたのです。
自分は欲しいものが手に入らない という 着ぐるみ、入れ物、ボディスーツ、鎧。
そして似たような体験をするたびに「 ほらね やっぱりね 」と、
自分のその着ぐるみ、鎧、を、信念を、強化してしまっていたのです。
この、「ほらね」 「やっぱりね」 「どうせ」 「私って」 というのは
自分ってなんてかわいそう というような、自分をあわれむ気持ち、自己憐憫というものです。
これは意識していないと気づかないかもしれませんが
無意識的に自分の中で、何か上手くいかない時や 手に入らない時など
「どうせ」 「やっぱりね」 「ほらね」 というようなことを思ったり口にしていると
それって、自分で 自分はみじめだ とか 自分はあわれだ とか 自分かわいそう とか
自分はそれだけの価値がないんだ ということを 自分で自分にしていること
自分に対してのそのセルフイメージ(着ぐるみ、よろい)を強化してしまっていることになります。
ここで、質問です。
かわいそう だったり あわれ だったり 価値がない 人は欲しいものを手に入れられるでしょうか?
つまり自分で自分に、
自分は受けとることができない( 欲しいものを手にいれることができない )というフィルターをかけている
ことになります。
以前からこのブログを読んで下さっている方の中にはおぼえていらっしゃる方もいるかもしれません。
願望実現・現実化を妨げるもの で 現実化を妨げるもの について触れました。
こうなりたい や これが欲しい という気持ちがあるのに
それに相反するような気持ちや考えが(信念が)あると
うまくいかなかったり時間がかかったり別のものになってしまう ということ。
思考も、口にする言葉も、
目には見えないけれど形(フォーム)があります(前述の例でいうとセルフイメージやよろい になりますね)
また、これも過去ブログで多々触れてきましたが、
引き寄せの法則的に言えば、人は自分の放っている波長、波動と似たようなものを引き寄せます。
なので、人間関係、友人等も、
自分と同じようなボディスーツ、着ぐるみ、よろいを着ている人を引き寄せていたり。
( ※自分の放っている波長、波動と似たようなものを引き寄せる について。
自分がイライラしていたり怒っていると、怒っている人と電車で隣合わせになったり
イライラするような状況、怒るような状況・体験を引き寄せてしまう 等。
波長、波動についてはこんな風に捉えるとわかりやすいかと思います。
ラジオを聞くのにある特定のチャンネル、周波数に合わせることで それを受信できますよね。
だから自分が、どの局・チャンネル・周波数に合わせるか。
怒りモードチャンネル か よろこびモードチャンネル か うれしいモードチャンネル か。
自分が意識的に、その状態(波長・波動)でいるようにつとめることで、これは可能です )
先のRさんの話に戻ります。
彼女はその きゅっとした感覚、 その後の
どうせ やっぱり ほらね というつぶやきの後、
しばらくして、気がついたのです。
自分が着こんでいた、着ぐるみ、よろいのことに。
そして、自分は人生で男性との関係だけでなく他のことでも、
いつも本当に欲しいものを手にすることを
自分が満たされた状態になること、満足することを
自分で無意識的に避けていた しないようにしていた ということにも。
どういうことかというと、彼女は男性だけでなく、
たとえば服やバック、靴など自分の身につけるものを購入する時にも
安売りになっているもの や お買い得、セール品となっていて
一見、見た目は かわいい きれい よさそう だけれども 本当に質のいいものや
本当に自分が欲しているもの ではないものを無意識的にいつも購入していました。
お財布には、お金があるのに。
貯金も、あるのに。
でも、なぜか無意識の反応、習慣、癖、行動パターンのような形で
安いもの で それなりのもの を見つけると
それが 本当に欲しいものではないけれど購入 していました。
そして、一番お気に入りの服 や 気にいっていて大好きな服、バック、靴 等は
大事にしまいこんでいて、ほとんどそれを身につけることを、していなかったのです。
つまり、自分が本当に満たされること 自分が満足する状態を、自分で自分に与えていなかった。
そして、これは彼女自身が、幼い頃に親から受けたこと(与えられたもの)でもあります。
本当に欲しいものを、与えてもらえなかった という。
( お母さん の代用品として本やおもちゃ、お菓子などを与えられてた)
自分で自分を満たしてあげること は、幼い頃、小さい頃はできなかったかもしれません。
でも、もう大人になった彼女は、自分で自分を満たしてあげることができるわけです。
本当に自分の欲しいものを、自分に与えてあげること
自分が満たされることを自分にゆるす、許可してあげるということを。
まずはその よろい 着ぐるみ( セルフイメージ-自分ってこうだ ) に気づくこと。
そして気づいたら、自分がそのよろい、着ぐるみを、脱ぎ捨てるだけです。
自分って、こうだ と思ってきたものを、捨てる。
どうせ やっぱりね ほらね でもなく。
でも、自分が本当に感じていること、
今、自分が本当に欲しているものを知る ことをしなければ その着ぐるみを脱ぐことはできません。
着ぐるみを脱ぐには
自分が本当に感じていること 自分が本当に欲しいもの に気づく必要があります。
もし、本当の気持ちを感じてしまったら( 知ってしまったら )
今までの自分 というものや 今までの自分を取り囲んでいた世界 が
崩れる 失ってしまうのでは というような恐れがあることを、人は潜在的に知っているので
気づいても、そこからなかなか出ようとしなかったり
脱ぎ捨てることをためらったり
着ていることを忘れたふりをしたり
無意識状態になることや感じないようにすること、気づかないようにすることで
今までと同じ、安心 でいようとしたり、惰性、妥協を歩んでいたりします。
だって、なくなってしまったらこの先どうするの どうなるの というような。
でも、もしそのままでいるのなら
ずっと、自分の本当に欲しいものを得られない状態、
満たされない状態 100%満足している状態ではない、
何か欠けたような感覚 で ずっといることになってしまいます。
恐れは、一時的なものです。
そして、過去も未来もない、
今だけ、 今この瞬間を生き切ることで
(過去こうだった というようなものや 未来、こうなったら もない
完全に今が新しい瞬間、この世に生まれて初めてのような瞬間)
その 今ではない 幻想 を超えて
自分自身の本来のもの、本当の自分自身を生きていくことが可能になってきます。
それは自己実現した自分、なりたい自分 になれている状態、でもあります。
Rさん、
彼女は長年続いていた男性との関係において、
なんとなくわかってはいたものの、
はっきりと自分の気持ちを見ることをしないでいたこと、
感じないように蓋をしてきていた自分に気づきました。
そして、自分に正直でないこと は内側で 自分を欺くような感覚、 自分を裏切っている感覚
に感じられ、もう、自分に嘘をつくことが実際にできなくなった、と
その男性との関係を終わりにしました。
彼女の中には先々への不安や、そして失くしてしまうことへのさみしさのような気持ち、
いろんな気持ちがありました。
終わりにしてからも、 あの頃は と思って泣いて過ごしたり
感情的な揺れ、精神的な揺れ、いろいろあったそうです。
でも、今彼女は、その男性との関係では得ることのできなかった、
本当に自分の欲しいものを自ら手にし、なりたい自分 になって、生きています。
(彼女はなりたかった自分 になっています)
ときに、今でも過去を思い出してしまったりすることもあると言いますが
彼女は言います。
「でも、今、ここにいることが 今この瞬間だけが、大事なんだって。
だって、過去を思うのは それはその過去をずっと未来にも投影してしまっていること、
その現実を、自分で作ってしまっていることになると
そう気づいたから。
過去は、もう終わったんだと。
そう思っています。」

むき出しの樹。
私達も、いつか本当の自分ではないもの を全部脱ぐ時が必要なのかもしれません
セルフイメージ についてや
自分が自分をどう思っているかがそれぞれの人の現実を創っている ということについて、
以下の過去ブログも合わせてお読み頂くとわかりやすいかと思います。
よかったら参考にして下さいね。

●「私」をうつし出してくれるもの
●「 自分 」 を形づくってきたもの
(具体例として掲載するにあたりご了解下さったRさん、ありがとうございました

























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