2010/09/10(Fri)
∞無限の愛


通りがかりの公園で、猫に餌をあげている人をみかけました。
首輪をしていない、のら猫のような感じの猫。
喜んで餌を食べている猫の様子を見て、
ふと思いました。
猫に餌をあげている人、
この人は、なんの見返りも求めていないんだな、と。
自分の飼い猫でもなく、
餌をあげたからといって
何か猫にお返しを期待しているわけでも、きっとない。
ただ、純粋に、あげたい という気持ちでしているのだな と。
子供にも こうなって欲しい とか 将来 とか
先々のこと 何もなく
ただ 与える ということができれば
それは本当の愛なのかな、と
そんなことを思っていたら
こんな場面を、みかけました。
果物や野菜を売っているお店の店先で、
主婦、お母さんという立場の人達が
小さい子供を連れていたり
背中におんぶしたりして、野菜をみていました。
野菜を手にとって、重さを感じてみたり
葉のつき具合や色など、手にとってよく見ています。
一度手に取ったものを籠に戻し、
別のものを手にしてみたり
その光景を見ていて、
そんな風に、お母さんていうものは
ただお母さんというだけでなく
家族のためにお料理を作るとすれば
買い物へ行き そして材料一つ選ぶにも
こっちの方が鮮度よさそうだわ とか
こっちの方がおいしそうだわ とか
料理を作るという過程の中でも、
その、家族に提供、与える という過程の中でも
材料一つ選ぶにしても、そうやって、吟味して選んだり、している。
それって、それも、愛だよなぁ なんて。
家族のために作るという行為。
与えるという行為。
何気ない、当たり前すぎるような日常のことかもしれません。
でも、野菜一つ選ぶにしても
そこには家族への愛というものが、繋がっているのかもしれない と。
実際 野菜を選んでいたお母さん達自身、そこまで思って選んでいたわけではないかもしれません。
日常の、当たり前の、日々の中にあること。
でも、意識していなくても、そのことが続いている先は
与える ということ。
家族のために。
与えたいから、与える。
どうでもよかったら、きっとそのお母さん達、
そんな風に吟味して選んだり、していないかもしれない。
自分のためでもあるかもしれないけれど、
みんな(家族や他の人)のため。
それはお母さんといわれる人たちだけではなく
お父さん だって、そう。
家族のために毎日仕事をしたり
保険に入っていたり(笑)
休みの日に、家族をどこかに連れて行ってくれたり。
いちいち、毎日
「 家族のために仕事に俺は行っているんだ 」

なんて、意識していなくても、
続いている先は、同じ。
そういう視点で見ていたら
自分が親に与えてもらっていたもの を感じました。
小さい頃、子供の頃
当たり前のように思っていたけれど
こうやって、してもらっていたんだよな、って。
家族に限らず、職場等でも、
他の人が心地良く使えるため 過ごせるために
お掃除をしてくれる人やお花を持ってきて飾ってくれる人達。
その人自身、
みんなを喜ばせよう とか ありがたがってもらおう とか
そういうことさえ思わず、ただ、そうしている そう在る のなら
それって、過去ブログの 自分が自分であることの大切さ に書いたような
何の思惑もない、
何かを 与えよう とも
何かを しよう ともしない、
ただ自分自身であること から発するものではないかなと。
そんな風に、思いました。
目に見える形で、はっきりわかる言葉で
褒められたり よろこばれたり ありがたがられたり
そういうことを思いもせず 意識せず
そしてそれを必要とせず、
ただ、自分の中からあふれるものとして
ただ、こうしたい という気持ちから行うのなら、
それは、与える ということでもあり
愛 なのかなあと。
ありがとう。
言われなくても
そう思ってもらえなくても
ただ、自分がしたいから、する。
自分がそうしたくて、する。
他の人のために何かできることが、
何の見返りも 期待もなければ
それだけで 与える 行為であり 愛なんだなと
そう思った日でした。

























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