2010/07/27(Tue)
ありのままにみること + 自分の反応 = 同じ出来事でも違う体験に

ハートに従うことはありのままを受け入れること
の、2つ目の例で(レストランの例)
ありのままを受け入れるということを
自分にも他の人にも、そして人生にも適応すると、
何もしなくても必要なことは起こり、必要なものは与えられ、
すべてがうまくいっている ということがわかる ということを書きました。
逆に、ありのまま を受け入れずにいると
余計な手間暇がかかったりして、受け取るべきはずのものを手にするまでに時間がかかってしまう…。
ということを体験を通して理解した、という内容でした。
最近、このことをまた、日常を通して学ぶ機会がありました。
これまでにセッションをお受け頂いたみなさんからのご報告で、
それぞれの方の体験を通して、私自身もまた教えていただいている感じだったのです。
今日は、このことについて触れてみたいと思います。

時間のあるときにお読み下さい
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突然予定外のことが起こったり、自分の思う通りにならない時、
怒り や 恨み のような感情を抱く、ということがあります。
例えば
車を運転していて、自分は目的地に早く行きたい、急いでいる。
しかし、前の車がものすごーくゆっくりな運転で、なかなか進まない。
イライラしつつ、早くいかないと!間に合わない!

でも、思考の現実化 や 引き寄せの法則 という見方からすると、
イライラしていたり 間に合わない と思うことは、その状況を引き寄せてしまいますよね。
実際、この車の例は過去に私自身が体験したことです。
すごく焦っていましたが、そのとき
「 大丈夫、大丈夫 ! 」と言い聞かせて
とにかく 欲しくない状態、望ましくない状態 へは意識を向けないよう、
冷静であるようにつとめていました。
すると、そのとき友人と待ち合わせをしていたのですが、
慌てて待ち合わせ場所についたところ、しばらくして電話がかかってきました。
電話の相手は待ち合わせをしていた友人で、
渋滞で車が進まないので、少し遅れる、とのこと。
あー、よかった~ と思うと同時に、
なるようになっていたんだな と、
ほっ としました。

引き寄せの法則的にみると、
もし、これが車の中で、イライラしたり、


もーっ! とわめいたり していたら、
結局それは自分の身に降りかかってくる、
そのような状況、イライラすること や 怒りをおぼえるようなこと
を自分で自分に引き寄せているだけになってしまいかねなかったと思います。
意識的に、自分を落ち着いた状態、心地良い状態、安心している状態 でいるように保つことができれば
例え何か起こっても、その自分の状態( 自分が発しているエネルギー、波動 )と
同じような状況を引き寄せることができるのではないかと思います。
この同じ例を、これまでよく触れてきた 引き寄せ というものから、
今日は少し別の角度・捉え方でみてみます。
それは 同じ出来事でも、自分がどう感じるか、自分がどう反応するかだけで
結果は変わってくる というもの。
先の車の例でいえば、途中で切り替えて 大丈夫、大丈夫! としていたことで、
出来事は同じでも 結果 が違った と捉えることができます。
この場合
出来事 = 待ち合わせに向かう途中、前の車が進むスピードが遅い
この時の自分の反応が
1、イライラして頭にきていたり怒りモードだったとすると
→ そういう状況を引き寄せていたかも?
・友人がもっと遅くなり、待たせられ、自分が怒りを感じるような状況になる とか
・自分が怒りモードなので、待ち合わせた友人も渋滞だったとはいえ、怒りモードになっていた とか
2、ありのままにみて、ただ そういうこともあるんだな と見ていた
(大丈夫!と言い聞かせてましたが、)
→ 前の車が遅いという 出来事 は同じでも、
結果として、友人も遅れたので、別になんともない、大丈夫な状況だった。
リーディング ( 遠隔リーディング )では、
現在のご本人様の意識状態で起こりうる可能性のあること
というのをお伝えすることがあります。
すべてありのまま すべて完全である という見方もあるのですが、
「 出来事 」は同じでも、本人が「 どう反応するか 」で、先の待ち合わせの例のように
結果を変えるということもできるんですね。
自分の、反応だけで。
先の場合の 「出来事」 は 前の車の運転が遅い という小さな出来事の例えでしたが、
もっと大きな出来事でも、自分の反応の仕方で、結果は変わります。
たとえば責任を持つ ということに関しての課題を今生に持ってきている人がいるとします。
なぜ課題になっているかというと、それは他の転生でクリアにできなかった部分だったため、
未解決のまま残されていたため、どこかで清算、バランスをとる必要があるわけです。
課題として持ってきているということは、
この転生においてクリアにできる、バランスをとることができる ということでもあるのですが、
未解決のまま残した時の転生のトーンが影響して、
何らかの形で責任をとることをしたがらなかったり、責任をとる立場から一歩後退していたり
何かや誰かのせいにして やろう としなかったり。
いろいろな形で、表面化していたりします。
そしてこれをクリアにするための 出来事 というものがあります。
日常の中で、自分にとっては新しいことや分野へ、挑戦していく機会というのが訪れたり、
グループの長など、責任あるポジションにならなければいけない必要性が起こってきたり。
その出来事の中で、もし 避ける という選択をしたとすると、
それはまた、別の形で別の出来事として、体験します。(やってきます)
自分の人生を振り返ってみたときに、自分が大きく揺れ動いた、
自分にとってあの出来事は大きいことだったというポイントを見ていった時に、
似たような体験や感情を何度も繰り返していたな という場合は、
それを(課題を)クリアにするためのものだった ということもあるわけです。
自分がどう反応するか をこの場合にあてはめてみます。
責任をとる立場にならざるを得ない状況・出来事というものがやってきたとして、
そこで 嫌だな とか こうなったらどうしよう というような不安や恐れ、
いわゆる ネガティブな反応 をしたとすると、
実際にたとえその任務をこなしたとしても、表面的なものに終わってしまうというか
自分の中では きゅっ となっている感じ、
満足している状態ではない感じ で、
結果 は先の待ち合わせの例のように、引き寄せ を考えると…。
おのずとわかりますね…。(^_^;)
でも、もしこの同じ 出来事 を
「 よしっ、やろう



いわゆる ポジティブな反応 をしたとすると、
そして 成功している自分をイメージ していたり、
そうなっていると信じて いれば、
自分の望む状態 なりたい状態 に意識をフォーカスしていたら、
結果 は、その フォーカスした状態のもの や 自分の思ったこと となるでしょう。
そして課題さえも、クリアにできることに繋がると思います。
※この辺は、 セルフイメージ というものも影響してくる部分です。
過去ブログ 「 私をうつし出してくれるもの 」 の
自分は臭い と思っている人 の例を参考にしてみて下さい
なので、リーディングでお伝えさせていただく内容も、
その時のご本人様の意識状態で起こりうる可能性、ではあるものの、
本人が どう反応するか を変えると、出来事 は同じに起こったとしても
結果は変わってくるということがあります。
…正ー直に白状すると、これは過去の自分の体験です(笑 終わったので、白状できます)
自分がどう反応するか。
この部分についてもっとわかりやすくするために、
もう一つ、現実的な私の具体例をあげてみます。
高校生の頃のことです。自転車通学をしていたのですが、
ある時、鍵をかけていたにも関わらず自転車を盗まれました。
学校の自転車置き場に置いていたのですが、帰ろうとしたら、なかったんです。
えーーー!!! とびっくりして先生に言うと 警察に行きなさい と言われ、
交番で自転車盗難届を出しました。
自転車で通学していたので必需品が盗まれるということは困ることでした。
頭にきてしまいましたよ、誰だかわからないけれど、盗んだ誰かに。
もーーっ!


ないと困るので、その後すぐに新しい自転車を購入しました。
でも、この一件があったことで、ある 反応 ができてしまっていました。
もしくは 思考のパターン かもしれません。
学校から帰るとき、自転車置き場へ歩いて行くまでの短い時間、
ふと、過去のその盗まれた出来事が頭をよぎるのです。
盗まれたんだよねー とか
一体誰が盗んだんだろう とか
もしまた盗まれたらどうしよう とか。
・・・ここまでお読みになって、勘のいい方はお気づきになったかもしれません。
なんと、自転車をまた、盗まれたんです。
たぶん、記憶が正しければ3回、盗まれました、一年で。
鍵をかけていたにもかかわらず、です。
複雑な鍵にしてみたり二重鍵にしてみたりもしたのですが…。
この自転車の例では
自分の反応 は
怒り と 「 またそうなったらどうしよう 」 という不安・予測 でした。
実際には、まだ起こっていないにも関わらず、自分の思考を、
望ましくない、欲しくない状況 にフォーカスしてしまった んですね。
もし、この時の 自分の反応 を変えていたなら。
例えば
「自転車で済んで、よかったー。この程度で済んでよかった~」

「新しい自転車が買えた、うれしいなー」

うれしい方、よい面にフォーカス していたりしたら
3度も同じことは起きなかったと思うんです。
自分にないもの、 欲しくないもの にフォーカスするのではなく
(「自転車盗まれたらどうしよう」 「自転車盗まれた」 は、欲しくないもの です)
自分に今あるもの(与えられているもの) や
欲しい状況、望むもの に意識を向けるということを、もしこの時できていたなら、
結果は違った と思うんです。
(でも、既に起こっていることなので、これも完全だったと今は思いますが)
今あるもの(与えられているもの)は、普段当たり前に思っていることが多いもの。
自転車を盗まれても、
でも、今日も自分も家族も元気でいるし♪
衣食住も確保されているし♪
学校にも行けているし♪
友達とも遊べるし♪
という気持ちや思いでいたなら。
盗まれた より、うれしいことの方、よかったことの方に意識を向けることができていたら
また違ったのだろうなー なんていうふうにも、思います。
自分には普段当たり前のことのように思っていることでも、
実際にはそれが叶っていない人も、いるんですよね。
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さて、冒頭にあげた内容についてです。
最近、セッションをお受け下さったみなさんからのご報告で、
同じ出来事 でも 自分がどう反応するか だということを、
あらためて再確認、教えてもらっているという機会を頂いています。
偶然にも同じ日にご連絡頂いたものなのですが、
セッションを受けられた方で
電化製品が壊れた、
あるいは一時的に不具合が生じた という方が数名いらっしゃいました。
一瞬 あらっ と思ったのは私…。

皆さんは、それぞれ素晴らしい 反応 をしていました。
ありのまま で すべてうまくいっている ということを、
体験を通して気づき、さらに私に教えて下さったのです。

「壊れたおかげで新しい機能満載のドライヤーが買えたり
(買い替えて正解でした)
CDコンポは買ってもらえたし
また、その壊れたCDコンポを欲しいという人がいて
あげたらすごく喜ばれたんです。
つまり嫌な思いをしてないんです。
どれも、うまくまとまっているんです。」
「ひとつ、不思議な話をすると
なぜ壊れたCDコンポを喜ぶ人がいたか、というと
CDコンポを新しくした日に
壊れたコンポはどうやって捨てるんだろ、
確か市役所に電話して・・・と考えていて
なんか捨てるなんてもったいないな、と
思っていたのです。
そしてその日の夕方
友達とよく行く近所の居酒屋に行ったら
その店はFMラジオを店内に流しているのですが
昨日からラジオが壊れて困っている、
と店長が言ってるのを聞いたんです。
そこで、です。
CDは壊れて聴けないけど
ラジオは聴けるCDコンポがあるけどいりますか?
と、言ったら喜んでもらってくれたんです。
本当に偶然の偶然が重なって
みんながうまくまとまったんです。
その店に行くと
私の家にあったコンポは
ラジオ専用コンポとしてがんばっています。
本当に良かったです。
不思議です。本当に不思議です。
ありがたいです。」
ともすれば、 壊れたことをありのまま受け入れられずに
(必要があって起こっていると捉えられずに)
えーー!(>_<) とか
なんで壊れるのーー! とか
怒ったり、ショックだったり、悲壮感を感じたり…
人によってはそういう 反応 をしてしまうようなこともありそうな部分です。
けれども、 よかったこと にフォーカスしていて、
その結果として他の人にも よかったこと( 喜ぶこと )を与えることができた。
自分が、 よかった という状態 でいることが( そういうエネルギー、波動を放っていた )
周りの人、他の人へも、与えることになった…。
これは、 与えるもの=受け取るもの でもありますね。
自分へ よかった という気持ちでいることを与えていた
↓
他の人へも よかった(喜ぶ)ことを与えることができた
↓
他の人が喜ぶことを、また自分の体験として 良かった と受け取ることができた。
めぐりめぐって、自分に与えたこと を 他の人にも与え、
また自分に よかった と返ってきた。
すべては一つというところから捉えると、
自分に与えること(していること)は、他の人に与えることと同じです。
そして他の人という 鏡 を通して与えたものは 自分にも、与えていると同じ。
Aさんという人がいたとして、
その人が足の細胞に、おまえはバカだ と言ったとします。
言ったのは 足の細胞に対して ですが、
全体で Aさん なので、足の細胞に言ったことは、
手の細胞、頭の細胞、おしりの細胞… 他のものに言ったことと同じなんですね。
そして Aさん( 自分 ) に言ったこと でもあるわけです。
---すべては一つ という見方の例。
Aさんの足の細胞が、自分( 足の細胞 )に「おまえは素晴らしいな、」と言ったとします。
足の細胞は Aさん の一部です。
全体で Aさん なので、
自分( 足の細胞 )に言ったことは、
自分の隣にある細胞、後ろにある細胞、前にある細胞、
まるで鏡のように 自分のように見える 他の細胞に言ったことと同じであり、
また、手の細胞、頭の細胞、おしりの細胞、にも言ったことと同じ。
Aさん に言ったことと同じ。

「ちょっと、パソコンから離れたら?」というメッセージだと思い、
どうにかやり過ごしました♪
その間、中途半端になっていた○○○をサクサクと進められたので、
結果、良かったのかも^^です。」
というご報告を下さいました。
起こったことをありのままに、受け入れていますよね。
自転車を盗まれた例のように もーーっ! となるのでもなく(笑)
無理矢理にでもパソコンにしがみつくのでもなく(笑)
そっか、そういうことなんだ、と、素直に、流れに委ねることで
別のことが進められて よかった と捉えることができる。
起こっていることや出来事をも、ありのままで完全なんだ とみる見方。
あるいは必要があって起こっていることなんだな とみる見方。
えーーーっ!と憤慨したり混乱するのでもなく、
このせいでこうなった~! とかでもなく、
自転車盗難の例のように、怒りモードでもなく。
すると、ハートに従うことはありのままを受け入れること に書いたように、
すべてはうまくいっているんだ ということが体験を通してわかったり、
その うまくいっているんだ という安心、信頼がまた、
うまくいっている状況 や 安心、信頼というものを引き寄せることに繋がったりしてきます。
最後、本当にすべてを
出来事も、状況も、
他の人も、自分のどのような面も、
世界をすべてありのままにみる ということができるようになると、
それは観察者としての、私たちの視点。
大いなる視点から見た、創造主としての 私たち を、知ることができます。
ご報告、掲載のご了解、そして気づきを頂きました
Mさん、Jさん、ありがとうございました♪




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