2008/10/21(Tue)
ソウルネーム(魂の名前)の音

この間の日曜、通りがかった駅の構内で人だかりが見え、なんだろうと思ったら
人だかりの中心にはミニオーケストラ?のような感じの、楽器を持った人達がいた。
そんなに気にも止めず、足早に脇を通り過ぎようとした時、急に演奏が始まり
一斉に全部の楽器の音が わっ と聞こえてきた(ような気がした)。
ちょっとびっくりもしたけれど、通り過ぎても背後から聞こえてくる音楽。
知っている曲でもなんでもないのだけれど、曲というか響きが、音が、
胸に迫ってきて不意に泣きそうになった。
こみあげてくるような、その瞬間、自分のこともすべてのことも忘れて、
ただその音に、全身が反応しているような感覚だった。
前回のブログでポニョの歌を聞いて号泣、という記事を書いたけれど、
ポニョの歌の時ほどではなかったかもしれないけれど
明らかに自分の中のある部分が反応している感じだった。
そしてそういう瞬間が過去にもあったことを思い出した。
それは曲の内容や歌詞、そういうのではなくて、ある音、音域が、
まるで自分の中の全細胞が反応しているみたいに、強烈にうたれるような、そういう感覚。
もう、その瞬間というのは自分のことも他のすべても忘れて
理由なしにただ泣けてくるような、そんな感じ。
過去、最高にうたれた曲はFAITH HILLの「CRY」だったなあと思い出して、
CRYの中にある、ある音と、ポニョの歌の中にあるある音、
つまり自分の細胞がふるえるような、うたれるような感覚をもたらす音が
同じ音だということに気づいた。
今月はじめ、サラ・ブライトマンの「ネッラ・ファンタジア」を聞いた時、
その同じような感覚、衝撃・衝動のような、自分の深い部分からの強烈な反応を感じ、
泣きそうになった。
でもそれはただの 泣きそう ではなく、何か力強い、やる気の出てくるような、
表現するのが難しいのだけれど、もう完全にやれる、やるんだ、というような
すごい力もそこには入っていたような気がする。
自分を後押ししてくれるような、確信のような強さ。
そしてそのサラ・ブライトマンの曲、フェイス・ヒルの曲、ポニョの歌の中で共通していた
ある音が、そういうフィーリングをもたらしていたのがわかった。
それはどういうことかというと、ソウル・ネーム(魂の名前)に由縁するらしい。
あるポイントで これが自分だ!という音を聞くようになり、
その音を聞くたび、鳥だろうが車だろうが、その音を聞くと
自分の内側が ばんっ となる感じになり、
それは多くはソウル・ネームで、今日常で起きていてもほとんど気づいていない
人が多いみたいだけれど、感覚をあるところまで高めると、
この世界で自分自身の側面をみつける、自分を表わす自分自身の音

をみつけるんだそう。
自分が同一化できる音、どこかに自分の真のアイデンティティが入っている…。
このことを今月はじめに聞いて、ついこの間のポニョでの反応、
数年前、歯医者さんで待っている時、BGMで流れていたクラッシックの音に
突然泣けてきたこと、そういう音に関する止められない内側の何か を思い出した。
サラ・ブライトマンはものすごい音域の出せる歌い手で、彼女の歌、
そしてモーツァルトの曲は、1つ1つの音はすべてのチャクラにタッチしていて、
いわゆる マインドのおしゃべり、頭の中の思考が止まる。んだって。
サラ・ブライトマンはその声の中に、ほとんどの人が自分の音をみつけることができるそう。
ってことは、今、この瞬間 にいれることだと思った。
余談だけれど、人はみんな毎晩体外離脱していて、体の外出るとき、そして戻ってくるとき、
その音と繋がるんだって。ソウル・ネーム。魂の名前の音と。
だから朝とか、体へ戻ってくるその時にフォーカスすると、
体へ戻ってくるその音というのがあって
自分のソウルネーム、魂の名前に気づくことができるかもしれない・・と教わりました。
にしても、音に関してのここ数年の自分の反応というか衝撃が
こういう理由だったのねー、とわかり、納得と同時にとても感慨深ーい・・・ほうぅ
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